2021年05月12日

細菌戦の系譜!!






中国侵略戦争
中国に於ける人体実験(伝染病研究所)
第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
731部隊の罪業
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
「声上げたら解雇」は許せない!〜「多摩労務管理事務所」に仮処分守れと申し入れ
情報公開裁判
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地〜今を生きる日本人が知るべきこと」
「核兵器禁止条約」発効の意義と課題―今こそ、東北アジア非核兵器地帯を―湯浅一郎(ピースデポ代表)
核兵器禁止条約の署名・批准の状況
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
浅川地下壕を歩く
昭和への挽歌   野崎忠郎
ビキニ核被害者救済支援と731部隊
毒ガスの痕
693陸軍病院と万人坑


「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00〜703号法廷
3月3日の『化学学校記事』の傍聴
日本の労働問題
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!
日本でワクチンが出来ない訳は
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
.SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!
.ミャンマーのクーデターを見ても、軍隊は国民を守らない!!



(感想)
5月2日(日)
1、ここで、満州事変の柳条湖事件を詳しく説明したパネルが欲しかった。日中戦争開始の盧溝橋事件のパネルは、独立していました。戦争開始の原因や動機についても書かれています。731部隊と100部隊の。区別が、昨年展示では、理解できませんでしたが、731部隊は対人細菌兵器、100部隊は対家畜細菌兵器と明確わかりました。ここをもう少し強調したらよいかと思います。加害者は忘れるのが早いが、被害者は死ぬまで忘れれられない。日本政府は、中国・朝鮮に対し賠償すべきです。国と国との間の賠償責任は、条約等によりなしになりましたが、個人対する賠償責任はある筈です。
(男性、60代、市内、フェイスブック)




731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第5回
「731部隊・100部隊」と
 「人獣共通感染症」
□日時:2021年5月27日(木) 18:30〜
□お話:今井雅巳さん 岐阜大学講師「平和学」□オンライン中継(ZOOM)
□主催:731ネットワーク      




◎ 「日本人の戦争認識」 =近代日本の戦争被害と加害の実相
◎ 哈爾濱「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」の変遷 「731部隊展」全国ツアー
◎ 長春「偽満皇宮博物院」と「100部隊」の展示 撫順・太源戦犯管理所と中国帰還者連絡会
◎「人獣共通感染症」の過去・現在
    ペスト・鼻疽・炭疽・鳥インフルエンザ・豚コレラ・SARS・MERS・COVID-19

◎ 戦前の獣医師(馬医者)を輩出した三大獣医学科
    東大・北大・盛岡高等農林学校(岩手大)獣医学科と博物館(動物の病気標本資料)

◎ 戦後の獣医師(馬の医者から人の医者へ・動物実験のプロ・製薬会社顧問)
    安東洪次と動物実験研究会・チンパンジーの老後(サンクチュアリー)

◎ 獣医師の本 『軍馬と鼻疽菌』小河孝著 『馬疫』茜灯里著
◎「人獣共通感染症」との共存=COVID-19との向き合い方・私たちの未来
◎「加害民族の末裔」としての自覚と現代日本人の責任
*日本のどこかに「731部隊」罪証陳列館分館建設を目指して!! 金成民館長の願望

□ 連絡先・申込 nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井) (zoomの定員100人、定員になり次第受付終了です。)







原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子




昭和への挽歌   野崎忠郎






自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)qばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」






第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった




731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
「731部隊と人権ー裁判から考える」お話:南典男さん(弁護士)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
「人骨問題と731部隊」鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
「731部隊と大連黒石礁事件」お話(根岸恵子さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)






パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
―医学と人権を考える―
●日本はなぜ“ワクチン後進国“になったのか
医療情報室レポート
199号より
福岡市医師会医療情報室より
   予防接種をめぐる国の主な施策と社会状況
平成17年
(2005) 日本脳炎ワクチン接種後の急性散在性脳脊髄炎(ADEM)症例の報告を受け、積極的接種推奨が中止され、2011年4月に再開された。
平成19年
(2007) 高校生や大学生等の年齢層で、特にワクチン未接種者や1回接種者を中心に麻しんが広がり、全国的に大流行となる。
平成23年
(2011) Hib、小児肺炎球菌ワクチン同時接種後の死亡例の報告を受け、接種が一時中止された。
生ポリオワクチン接種後のVAPP(麻痺)が問題となり、翌年、不活化ポリオワクチンへと変更された。
平成25年
(2013) 風しんの流行が過去最大ペースで広がる。
子宮頸がんワクチン接種後、慢性疼痛を訴える症例の報告を受け、積極的接種推奨が中止された。
予防接種法の改正により、副反応報告制度が法定化され、対象疾病が一類からA類、二類からB類へと変更された。


元予研所長・長崎大学長の福見秀雄は731部隊関係者・CIA工作員で戦後も人体実験を続けたより

宮川正教授は退官記念講義で731部員だったことを暴露されたより
水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」1

2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2


2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3


森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!






隠された毒ガス兵器

あの小津監督も毒が売部隊に所属していた!!
『従軍日記』 小津安二郎
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するのか?

新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

【日航機墜落事故の真相】

今の日本の実態!!

多摩労務管理事務所闘争に勝利するための9 26集会



●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)



日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫


元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

10分で学びなおす「731部隊」


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の主犯ではない。小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇がバックで指示を出していた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜」 2017年8月13日

(後編) 731部隊の真実 人体実験はこうして拡大した 隊員たちの素顔






●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
731部隊被害者遺族の訴え!!





実験医学雑誌第14巻雑報
14巻4号(1930(昭和5)年
雑報
ジフテリア毒素の精製法について

大山酉一

(1)Rohtoxin(生毒素)にZnCl₂(塩化亜鉛)を加えてToxin(毒素)を落とす時にこの沈殿を分析するに必ず燐酸の反応が強く陽性である。
(2)毒素を作るに用いる培地の組成を変化させるとZnCl₂の一定量が落とす毒素の量は培地の燐酸塩の含有量と密接な関係がある。





伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より





この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

埋もれた細菌戦調査書


●細菌戦裁判

資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

第4部
第一審判決に対する日本の各界の支援の声

1章 国会議員、研究者、ジャーナリストから

良心と勇気

西里扶甬子(ジャーナリスト)

1997年夏提訴以来、丸5年をかけた「細菌戦被害国家賠償裁判」の地裁判決が下された。外国人特派員協会での直前の記者会見で,原告弁護団長の土屋先生語った言葉が私には衝撃的だった。つまり、「被告である国を有罪としようと思えば、その法的根拠はいくらでもある。また、原告の訴えを棄却して、敗訴に追い込もうと思えば、そのこんきょもある。全ては裁判官の良心と勇気の問題。日本の裁判官は左遷覚悟で、情理を尽くして過去の判例に逆らう様な判決をなかなかできない。」





●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。


731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)



旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記





●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


五月二十日

晴 風あり 午前五時二十分。
朝から忙しい事おびただしい。二三中隊の下士が首山に現地戦術の為点呼同時に来た。半食の為に最後にご飯が足りなくなった。約三名分が、大きなニュームノ鍋を持って水〇に行けども 少しもなし。
やむを得ず中隊に行き少しばかりもらってくる。つまらない事おびただしい。人の食べるものを心配するなんて。
お昼は又伝票を切っていない下士が 現地戦術より帰って来て食べに来た為に 矢張り足りなくなって仕舞った。こんな馬鹿な事はない。致し方ないから消費組合からどんぶりものを取って食べてやった。








●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)



挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より

W 人間の威厳について

広島で生き続ける人々が、あの人間の悲惨の極みについて沈黙し、それを忘れ去るかわりに、それについて語り、研究し、記録しようとしている事、これは実に異常な努力による重い行為である。その為に、彼らが克服しなければならぬ、嫌悪感を初めとする全ての感情の総量すら、広島の外部の人間はそれを十分に推し量る事ができない。広島を忘れ、広島について沈黙する唯一の権利を持つ人たちが、逆にあえてそれを語ろうとし、研究しようとし記録しようとしているのである。



唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!





●『細菌戦部隊』
731研究会編

T 731部隊  1996年9月(核時代51年)初版発行

満蒙開拓青少年義勇軍から731部隊へ
撤退時の死体処理は教育部全体で無我夢中でやった

大竹康二
731部隊・教育部
〈略歴〉
1926年生まれ
1940年3月 満蒙開拓青少年義勇軍入隊。同年7月“満洲国”北安省嫩江の訓練所入所。
43年8月開拓団入植
1945年5月 122師団(牡丹江)入隊
1945年6月 731部隊教育部に配属
1945年8月 帰国
■この証言は731研究会の学習会での発言(1994年4月)。95年5月の聞き取りをまとめたもの

解説―731部隊教育部
(越田稜)
教育部では主に衛生兵としての訓練が行われた。初年兵の訓練は合計9か月であったが、自らの部隊を自衛するという任務もあって、最初の3か月は、専門の歩兵部隊に預けられ、個人教練・分隊教練・中隊教練など一般的な戦闘行動の基礎をなす教育を受けた。



 



●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』1991年初版発行
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

解説

松村高夫

3 731部隊に関する戦争犯罪裁判

起訴状朗読の後、被告尋問が川島から始まり、4日目の28日迄続いた。引き続いて証人尋問に入り12名が証言したが、古都良雄が中国における細菌撒布や人体実験(凍傷実験)について、堀田見習士官(ハイラル支部・主計)が安達での人体実験について、佐々木幸助が柄沢班の細菌製造について、橘武夫(チャムス憲兵隊長)が「特移扱」について、倉員悟(ハルビン憲兵隊)が「特移扱」と人体実験について証言した。100部隊については、桑原が敗戦時に馬鼻疽感染馬を放ち流行病を広げたことについて、畑木章が人体実験について証言した。






●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章
日中全面戦争と毒ガス戦の展開

1、催涙性ガスの使用とより強力な毒ガス兵器使用の要求

南京攻略戦で毒ガス戦に傾く

起訴状朗読の後、被告尋問が川島から始まり、4日目の28日迄続いた。引き続いて証人尋問に入り12名が証言したが、古都良雄が中国における細菌撒布や人体実験(凍傷実験)について、堀田見習士官(ハイラル支部・主計)が安達での人体実験について、佐々木幸助が柄沢班の細菌製造について、橘武夫(チャムス憲兵隊長)が「特移扱」について、倉員悟(ハルビン憲兵隊)が「特移扱」と人体実験について証言した。100部隊については、桑原が敗戦時に馬鼻疽感染馬を放ち流行病を広げたことについて、畑木章が人体実験について証言した。







・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

秘密の軍事学校

陸軍習志野学校は教育総監部の管轄に属した。教育総監部は日本軍隊の訓練を監督する部門で、元は陸軍大臣に属していたが、1900年から天皇の直属部門となり、あらゆる軍事学校を統管し、その下には各兵種の教育を管轄する兵監部を設置した。化学兵監部は1941年3月の設立だから、習志野学校よりずっと後だった。
 習志野学校の設立時の校長、中島今朝吾少将は日本陸軍大学卒業後、フランス陸軍大学の養成訓練に参加した。1921年、彼はパリにいたとき、陸軍諜報所のメンバーとなり、思想統制、恫喝、拷問の玄人だった。習志野学校を離れてからは、まず一時期東京で憲兵の長を担任、後に中国の侵略戦争に参加した。日本軍が南京を占領したとき彼は第16師団を指揮していたが、任務に就くとき、死体を焼却する特別の燃料を持って行った言われる。世界を震撼させた「南京大虐殺」事件中、彼は主要な殺人者だった。




 



毒ガスの工場の焼却

大久野島国民休暇村






日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

日本鬼子(リーベンクイズ)
刺突(しとつ)
農民を初年兵の訓練に

江先 光(えさきひかる)
曹長
〈略歴〉
私は山口県岩国市岩国に生まれた。
小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、
1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。
以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において
捕虜となった。今年40歳です。


●ー筆者からの一言〈昭和57年8月〉
もう故人になられたが、我が国中国文学研究の第1人者であった吉川幸次郎先生は、「日本の文学の熱心な主題は恋愛であるが、中国文学の熱心な主題は政治である」と明快に教えられている。文学の中の政治とは、「創作中の人物が天下国家を論じ、策を天下に問う」ことではない、と私は理解している。政治とは、物事をなす人が、その時、それを誰のために、どのような考えをもって行なったかを見極め、言い換えると、そのような人物が中心をなす創作を指している、と思う。




 


●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
>
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める






●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 4月23日(金)14:00〜103号法廷
●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00〜703号法廷

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著
第一章 国家機密と軍国主義
1、戦後日本の機密保護体制

 2 シビリアン・コントロールの欺瞞
 イチジクの葉の国防会議
  72年3月8日の衆院予算委員会で、中谷鉄也議員(社会党)が明らかにしたところによれば、71年度中に防衛庁が国防会議に提示した秘密文書は、わずか27件にすぎなかった。それも秘密区分としてはもっとも軽度の「秘」に属するものばかりである。同年中に防衛庁が作成した秘密文書は2万4294件であった(第1表参昭)。つまりこの面からいえば、国防会議は千分の一のコントロール機能しか果たしていないのである。要するに、国防会議はイチジクの葉にすぎない。それは肥大化する軍隊と行政権力の補完物であって、真のシビリアン・コントロールの道具にはなりえないのである。国防会議の現実は、制服優位に立って軍民官僚の利害を調節する機関であり、軍事優先的体質をもつ反動政治家と制服組との癒着を蔽いかくすカクレミノにすぎないことををしめしている。


 


第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901〜1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11〜43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1



金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


V 自衛隊における人体実験の疑念

5 生物・化学戦における被害想定
生物・化学剤と兵器体系

そして、現代における様々な形の戦争において戦術的に使用される最も新しい生物・化学兵器の種類とその性状、兵器体系を前提条件として提示した上で、その作戦を想定するのである。
 まず、その化学剤として
          神経剤・・・・・GB,、VX
 有毒化学剤ー
          びらん剤・・・・HD
          不能剤・・・・・BZ
無傷害化学剤ー
          暴動・・・・・・CS、CN、DM
をあげ、対人生物剤については、「実際に戦場に出現する可能性のある剤は、多数にのぼり、また、秘密区分されているため」に仮定生物剤をあげて、
不能剤・・・ルゴ、ファチーグ、九月熱
致死罪・・・トレド、イフェクション
をあげている。












第5代衛生学校長

井上義弘【1904〜1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治−ヒロシマからフクシマへ−
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。








●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

第15章東京裁判
V

日本の侵略でもっとも被害を受けたのは中国である。そして、蒋介石ほど日本の君主制と軍国主義との密接な関係を深く理解していた連合国の戦争指導者はいなかった。しかし同時に蒋は天皇の存在が共産主義勢力の拡大を阻止すると考えており、そのため、裕仁を起訴しない決断を下した。10ヵ所の都市に設置された国民政府の軍事法廷では883人の日本人を戦争犯罪の容疑で起訴し、裁判にかけたにもかかわらず、蒋は東京裁判には高い優先順位を与えなかった。共産軍と蒋との戦いはまさに再開されようとしていた。彼はアメリカからの財政的・軍事的援助を必要としており、その一方で、共産勢力との戦争で利用することを見据えて、日本の軍人に降伏後も引き続き中国に留まるよう説得していたのである。



日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
@、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, 
the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

小泉親彦と昭和天皇
近現代史を《憲法視点》から問う〜「湘南社」の憲法論議〜
近代天皇制の真髄は
福沢諭吉
神武と戦争

憲法9条を生かそう!!


731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!

※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?


 
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子



核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニューメキシコ州での核実験
2010年11月18日 Zマシン(サンディア国立研究所)と呼ばれる核融合実験装置/X線発生装置を使い、核爆発を伴わない「新型核実験」に成功している(この実験はマスメディアなどでは一応臨界前核実験とは区別して新型核実験と呼ばれている)。これは強力なX線を発生させ、超高温、超高圧の核爆発に近い状況を再現し、プルトニウムの反応をみる実験である。この実験は2014年11月まで続いており計12回行われている。





●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future

●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!


JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日〜5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!





posted by ノブ at 11:33| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月11日

細菌戦の系譜!!







































.SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!

.ミャンマーのクーデターを見ても、軍隊は国民を守らない!!




(感想)
2021年5月1日(土)

0、ここ数年毎年拝見しています。日本人としてすべての世代が歴史の事実として学び、振り返る必要があると思います。いつもお世話様です。明日桜木町で別のチラシ配りがありますが、このパネル展のチラシもお配りします。
(女性、60代、市内、チラシ)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第5回

「731部隊・100部隊」と

 「人獣共通感染症」

□日時:2021年5月27日(木) 18:30〜

□お話:今井雅巳さん 岐阜大学講師「平和学」□オンライン中継(ZOOM)

□主催:731ネットワーク      





◎ 「日本人の戦争認識」 =近代日本の戦争被害と加害の実相

◎ 哈爾濱「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」の変遷 「731部隊展」全国ツアー

◎ 長春「偽満皇宮博物院」と「100部隊」の展示 撫順・太源戦犯管理所と中国帰還者連絡会

◎「人獣共通感染症」の過去・現在

    ペスト・鼻疽・炭疽・鳥インフルエンザ・豚コレラ・SARS・MERS・COVID-19


◎ 戦前の獣医師(馬医者)を輩出した三大獣医学科

    東大・北大・盛岡高等農林学校(岩手大)獣医学科と博物館(動物の病気標本資料)


◎ 戦後の獣医師(馬の医者から人の医者へ・動物実験のプロ・製薬会社顧問)

    安東洪次と動物実験研究会・チンパンジーの老後(サンクチュアリー)


◎ 獣医師の本 『軍馬と鼻疽菌』小河孝著 『馬疫』茜灯里著

◎「人獣共通感染症」との共存=COVID-19との向き合い方・私たちの未来

◎「加害民族の末裔」としての自覚と現代日本人の責任

*日本のどこかに「731部隊」罪証陳列館分館建設を目指して!! 金成民館長の願望


□ 連絡先・申込 nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井) (zoomの定員100人、定員になり次第受付終了です。)




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自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)qばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」


長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。





「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」







第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回





パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

―医学と人権を考える―

●日本はなぜ“ワクチン後進国“になったのか

医療情報室レポート

199号より

福岡市医師会医療情報室より

   予防接種をめぐる国の主な施策と社会状況

平成元年

(1989) MMRワクチン(麻疹+ムンプス+風疹)が始まるも無菌性髄膜炎の多発により集団訴訟が起こる。国は相次いで敗訴し、MMRワクチンは1993年に中止となる。

平成6年

(1994) 感染症の患者・死者が激減する中、予防接種法が改正され、「義務」から「努力」規定へ、「集団」から「個別」接種へと変更された。

平成13年

(2001) 公衆衛生水準、医療水準は飛躍的に向上する中、予防接種法が改正され、対象疾病が一類疾病(努力義務あり)、二類疾病(努力義務なし)に分けられた。
















森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!









あの小津監督も毒が売部隊に所属していた!!


※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!












今の日本の実態!!






●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?

過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)



日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!


東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫



元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」



1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う

*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!

1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う

10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う

10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う

1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行

1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 

8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う

1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


10分で学びなおす「731部隊」



731部隊は、石井四郎が、細菌戦の主犯ではない。小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇がバックで指示を出していた。






●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!







実験医学雑誌第14巻雑報

14巻4号(1930(昭和5)年

雑報



ジフテリア毒素の精製法について

大山酉一
ジフテリア毒素の性質作用が酵素に類する所から
毒素の精製にR. Willstatterの吸着と溶出の方法を応用することが最も適当であろうと信じ研究の歩を進めた所従来の磁土或いは水酸化アルミニウムにてはよき結果を挙げ得なかった。
 然るに1896.L. Brieger創めて用いたZnCl₂による毒素精製法のメカニズムが今日なお等閑にされてあるのを遺憾に思いこの機序を明らかにすべく種々の実験を行い次の結果を得た。




伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より






この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、

日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。

日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?

この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?

今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?





●細菌戦裁判


資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)


「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 


本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声


1章 国会議員、研究者、ジャーナリストから


判決の反応と情報公開


近藤昭二(ジャーナリスト)



これらの資料の発見によって、人体実験の被害者の中に韓国人がいたということが具体的に分かり、韓国でも調査が始まりました。
 各国のこういった経緯や気運を受けて、わが国でもきちんとした調査をしなくてはならないのは一層の急務になってきました。日本政府に要求して、アメリカの様な調査団を作らせて、情報を開示させていくことが必要です。既に歴史学者の荒井信一教授を中心とする市民団体によって、日本の戦争期の資料を調査し情報公開する「恒久平和調査局設置法」の成立を求める活動が進められ、超党派の議員や外国の代表による国際フォーラムが開催されるなど動きは活発化しています。情報公開は時代の趨勢と言えます。
 まだ時間はかかるかもしれませんが、私もこれらの活動を通して、あの常徳の老人に対する謝罪のしるしを是非とも手に入れたいと思っています。(2002年8月30日、新宿集会での発言)






●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??



2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。



731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)











●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


五月十八日



五月十九日

晴 風あり 午前五時半 約一ヶ月振りに点呼を取る 重機の演習あり。教専の為に。
今日午前中は教専の為に重機演習をやる 久し振りに重機の軍備をした 最早忘れてしまった。非常に暑くてじっとしていても汗が出る位で。少しばかりで基本を終わり 生徒に実施させて教える役になる。風うららかに笑いを爆笑させながら約半日にして終わる。久し振りに重機の友がおしかった故に逢ったが最後 暴れて仕様がない。
でれでれでれでれ手入れをして午後二時又集会所に行く。二中隊の森の奴少しも動かないで困ったものだ。こんな平凡な日が後三日ばかり続くんだ。相変わらず本とピンポンと新聞の三つに首っ引きだ。何分二日も入浴に行かず 中隊の武田と共に点呼迄ピンポン遊びに夢中なり。













●大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)




挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より


W 人間の威厳について


 
それでも、聖者という言葉に反感をもつ人達があるなら、もっと荒々しく野卑な調子でセリーヌが次のように核一節と共に、死の時の至るまで沈黙しなかった2人の死者のことを思い出してもいい。≪完全な敗北とは、要するに、忘れ去る事、とりわけ自分達をくたばらせたものを忘れ去ることだ、そして人間どもがどこまで意地悪か最後まで気付かずにくたばっていくことだ。棺桶に片足を突っ込んだ時には、じたばたしてみたところで始まらない。が水に流すのもいけない、何もかも逐一報告する事だ、人間どもの中に見つけ出した悪辣極まる一面を、でなくちゃ死んでも死に切れるものじゃない。それが果たせれば、一生は無駄じゃなかったという訳だ≫








●『細菌戦部隊』

731研究会編


T 731部隊  1996年9月(核時代51年)初版発行


満蒙開拓青少年義勇軍から731部隊へ

撤退時の死体処理は教育部全体で無我夢中でやった


大竹康二

731部隊・教育部

〈略歴〉

1926年生まれ

1940年3月 満蒙開拓青少年義勇軍入隊。同年7月“満洲国”北安省嫩江の訓練所入所。

43年8月開拓団入植

1945年5月 122師団(牡丹江)入隊

1945年6月 731部隊教育部に配属

1945年8月 帰国

■この証言は731研究会の学習会での発言(1994年4月)。95年5月の聞き取りをまとめたもの


“731”のことなど



解説―731部隊教育部
(越田稜)
関東軍防疫給水部ハルビン本部の内部組織は8部門に(総務部を含む)に分けられていて、その1部門に教育部がある。そこでは、軍属ではないいわば“現役兵”の教育が施されていた。1945年(昭和20年)8月時の教育部長は西俊英軍医中佐(孫呉支部長兼務)であった。教育部は本部本館の南側500mに位置し、教育部本館と木造の兵舎2棟があった。













●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編

『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』1991年初版発行

江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


解説


松村高夫


3 731部隊に関する戦争犯罪裁判



被告は様々な階位の者が混在していた。山田乙三(関東軍司令官)・梶塚隆二(関東軍軍医部長)・高橋隆篤(関東軍獣医部長)・佐藤俊二(関東軍第5軍軍医部長)のような指揮命令を下す立場にあった者から、三友一男(100部隊員)・菊池則光(海林支部員)・久留島裕司(林口支部員)の様な者まで含まれていた。731部隊本部・支部の責任ある立場にいた者は、前出の川島清と柄沢十三夫、更に西俊英(教育部長兼孫呉支部長)、尾上正男(海林支部長)である。









●毒ガス戦


・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著


第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開


1、催涙性ガスの使用とより強力な毒ガス兵器使用の要求


南京攻略戦で毒ガス戦に傾く



さて、南京戦の時期の毒ガスをめぐる状況をみてみよう。11月7日、陸軍省の田中新一軍事課長が受けた上海方面視察報告の中には「瓦斯弾の使用は已むを得ぬものと認めらる」ことも提言されており(田中新一「支那事変記録」その4)、又、同日に陸軍省軍事課が検討した「戦力増強」の為に必要な手段には「瓦斯使用に関する指示の件」という項目も存在している(同前)。毒ガスの使用は止むを得ないものだとして、「戦力増強」の為にその使用を検討し始めたことがわかる。













・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


第5章 陸軍習志野学校


秘密の軍事学校




別の面では、日本軍は第1次世界大戦の経験から、すでに各級部隊に化学戦に関係ある軍事に専門的に従事する人員を配備していた。この種の人員は部隊の中では「ガス係」と呼ばれていた。1925年から、これらの人員は必ず毎年12度の集中訓練を受けていた。しかし、もし化学戦を行なうとしたら、これらの人に頼るだけではとても十分とは言えない。当時の日本軍隊で、例えば、兵器、後方勤務、医務など各種の専門事が分かり相談できる人は大変多かった。しかし、化学兵器の分野に関係ある参謀人員は極めて少なく、これは戦争拡大の策を練っている日本軍にとっては1つの重大な欠陥と言わざるを得なかった。当時、日本が向かい合う相手は中国、アメリカ、ソ連などの大国だったので、化学兵器で自国の能力を拡大し、化学戦を専門とする人員をどうしても養成しなければならなかった。これこそが化学戦の専門軍事学校設立の目的だ。






 




毒ガスの工場の焼却


大久野島国民休暇村










●『三光』     中国帰還者連絡会編

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

刺突(しとつ)

農民を初年兵の訓練に


江先 光(えさきひかる)

曹長

〈略歴〉

私は山口県岩国市岩国に生まれた。

小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、

1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。

以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において

捕虜となった。今年40歳です。




ああ、それから13年、若者達の肉体は亡び、白骨となっても、祖国を信じて疑わなかった若者達のあの魂は、言葉は、奪うことも踏みにじる事も出来なかった!!「中国は偉大だから必ず勝利する!!」「鬼め!!」「お前たちこそ、穴に入る時が必ず来る!!」その声は全中国のどんな地にも響き渡っている。







 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!

自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!




沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??





>

在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。


 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。


 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。


 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。


 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。




●情報公開裁判

なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?




●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 4月23日(金)14:00〜103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00〜703号法廷


◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )

            藤井治夫著

第一章 国家機密と軍国主義

1、戦後日本の機密保護体制


 2 シビリアン・コントロールの欺瞞

 イチジクの葉の国防会議


 一般に、軍事にかんする活動は、戦力の創造、育成、維持の分野と、こうして建設された戦力を直接間接にどう運用するかにかかる分野に分けて考えることできる。国防会議は、 このうち戦力をつくる面―防衛力整備は扱うが、戦力を使う面―作戦用兵にはタッチしないと自己限定しているのである。育成増強される軍事力がどう使用される計画であるか―つまり作戦計画と関連なしに、建設されつつある戦力の本質を捉えることはできない。国防会議は―したがってその議長である内閣総理大臣も当然に―この重要な分野に全く関与せず、事実上制服組にまかせてしまっているのが現実なのである。





第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。


1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。


『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




第4代衛生学校長


『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?


金原節三(1901〜1976)


陸軍省医事課長時代(1941.11〜43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」


厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1




金原節三と細菌戦


金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。


細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎


金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。


※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!


『軍事史研究』2010年9月

軍事史関係史料館探訪(56)

陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館

喜多義人


収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。



V 自衛隊における人体実験の疑念



4 公害調査に名を借りたBCW作戦


気象条件と作戦要素


 
5 生物・化学戦における被害想定
生物・化学剤と兵器体系
陸上自衛隊の『化学学校記事』(第11号、1967年)に掲載された阿達憲3佐の「新しい化学剤及び生物剤の用法」と題する記事は、我々に幾つかの興味ある問題を提示してくれる。それは「化学剤及び生物剤の戦術的用法に関連する諸問題、なかんづく、兵器体系、死傷見積、及び風下危険見積等についての新しい事項を、化学剤はG剤を、生物剤は仮定生物剤3種を中心に容易に理解できる簡易見積要領に重点をおいて紹介する」として、作戦を想定する。
















第5代衛生学校長


井上義弘【1904〜1969(65歳)、石川県出身


1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】


第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。


井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。


又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。

東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。

※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。

1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。


南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





















●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より


重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。







●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!





第4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年


第15章東京裁判

V



 こうした状況のなか、ソ連代表団はスターリンの指示どおり指導国に従うこととし、アメリカが主張した場合にかぎり、裕仁の起訴を要求する方針をとった。アジアから裁判に参加したわか3ヵ国―中国、フィリピン、インド―の代表もできるだけアメリカの政策との摩擦を回避しながら独自の捜査方針を推し進めようとした。

 


日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

@、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、

国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、

国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

A.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、

これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, 

the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation

and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 

the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.

The right of belligerency of the state will not be recognized.











731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!


日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?


●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?





●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?





核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


アメリカ合衆国

ネバダ州での核実験

1957年8月7日ネバダ核実験場における核実験(プラムボブ作戦)で破壊された米海軍の飛行船。この飛行船は軍事効果実験のため爆心地点から5マイル以上離れた地点を無人で浮遊中だったが、爆発の衝撃波で崩壊した。
南太平洋での実験は費用が掛かるため、トルーマン大統領の提案により1951年にネバダ州の砂漠にネバダ核実験場 (NTS,Nevada Test Site) が設置された。その後、フォールアウト(放射性降下物)の測定や建物・動物などへの影響を調べるための実験が地上・地下含めて928回行われた。
核実験の振動がラスベガスの建物に影響を与えたため、核出力5Mtの爆発実験の前段階として、1968年1月19日にラスベガスの北130kmにあるトノパー近郊で1Mtの地下実験"FAULTLESS"が行われた。これがアメリカ合衆国本土で行われた最大の核爆発であった。その結果、衝撃で地上に大きな断層ができてしまったために本土で実験は行わないことになり、5Mtの実験はアラスカのアムチトカ島で行うことになった。
1997年7月2日 地下実験場で初の臨界前核実験が行われた。
バスケットボール928回繰り返された核実験の放射能で、多くの人々がガンになって死んでいるというドキュメンタリーがある。
詳細は「ネバダ核実験場」を参照








●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!









ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??




●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!


なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。




・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。


2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。







水爆実験

水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!




JCOの臨界事故



福島第1原発事故



徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!









posted by ノブ at 15:06| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月29日

細菌戦の系譜!!




4月30日(金)〜5月10日(月)ブログお休み
中国侵略戦争
中国に於ける人体実験(伝染病研究所)
第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
731部隊の罪業
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
「声上げたら解雇」は許せない!〜「多摩労務管理事務所」に仮処分守れと申し入れ
情報公開裁判
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地〜今を生きる日本人が知るべきこと」
「核兵器禁止条約」発効の意義と課題―今こそ、東北アジア非核兵器地帯を―湯浅一郎(ピースデポ代表)
核兵器禁止条約の署名・批准の状況
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
浅川地下壕を歩く
昭和への挽歌   野崎忠郎
ビキニ核被害者救済支援と731部隊
毒ガスの痕
693陸軍病院と万人坑


「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00〜703号法廷
3月3日の『化学学校記事』の傍聴
日本の労働問題
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!
日本でワクチンが出来ない訳は
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
.SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!
.ミャンマーのクーデターを見ても、軍隊は国民を守らない!!



731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第5回
「731部隊・100部隊」と
 「人獣共通感染症」
□日時:2021年5月27日(木) 18:30〜
□お話:今井雅巳さん 岐阜大学講師「平和学」□オンライン中継(ZOOM)
□主催:731ネットワーク      




◎ 「日本人の戦争認識」 =近代日本の戦争被害と加害の実相
◎ 哈爾濱「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」の変遷 「731部隊展」全国ツアー
◎ 長春「偽満皇宮博物院」と「100部隊」の展示 撫順・太源戦犯管理所と中国帰還者連絡会
◎「人獣共通感染症」の過去・現在
    ペスト・鼻疽・炭疽・鳥インフルエンザ・豚コレラ・SARS・MERS・COVID-19

◎ 戦前の獣医師(馬医者)を輩出した三大獣医学科
    東大・北大・盛岡高等農林学校(岩手大)獣医学科と博物館(動物の病気標本資料)

◎ 戦後の獣医師(馬の医者から人の医者へ・動物実験のプロ・製薬会社顧問)
    安東洪次と動物実験研究会・チンパンジーの老後(サンクチュアリー)

◎ 獣医師の本 『軍馬と鼻疽菌』小河孝著 『馬疫』茜灯里著
◎「人獣共通感染症」との共存=COVID-19との向き合い方・私たちの未来
◎「加害民族の末裔」としての自覚と現代日本人の責任
*日本のどこかに「731部隊」罪証陳列館分館建設を目指して!! 金成民館長の願望

□ 連絡先・申込 nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井) (zoomの定員100人、定員になり次第受付終了です。)


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原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子



昭和への挽歌   野崎忠郎






自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)qばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」






第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった




731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
「731部隊と人権ー裁判から考える」お話:南典男さん(弁護士)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
「人骨問題と731部隊」鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
「731部隊と大連黒石礁事件」お話(根岸恵子さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)



パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
―医学と人権を考える―
●日本はなぜ“ワクチン後進国“になったのか
医療情報室レポート
199号より
福岡市医師会医療情報室より
   予防接種をめぐる国の主な施策と社会状況
昭和23年
(1948) 感染症の患者・死者が多数発生する状況をうけて、痘そう、百日せき、腸チフス等12疾病を対象し、罰則付き接種を義務付けた予防接種法が制定される。
昭和50年
(1975) DPTワクチン(ジフテリア+百日咳+破傷風)接種後の死亡例の報告。
昭和51年
(1976) 感染症の患者・死者が減少する一方、予防接種による健康被害が社会問題化し、健康被害救済制度が創設される。罰則なしの義務接種へと変更された。


元予研所長・長崎大学長の福見秀雄は731部隊関係者・CIA工作員で戦後も人体実験を続けたより

宮川正教授は退官記念講義で731部員だったことを暴露されたより
水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」1

2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2


2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3


森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!






隠された毒ガス兵器

あの小津監督も毒が売部隊に所属していた!!
『従軍日記』 小津安二郎
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するのか?

新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

【日航機墜落事故の真相】

今の日本の実態!!

多摩労務管理事務所闘争に勝利するための9 26集会



●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)



日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫


元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

10分で学びなおす「731部隊」


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の主犯ではない。小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇がバックで指示を出していた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜」 2017年8月13日

(後編) 731部隊の真実 人体実験はこうして拡大した 隊員たちの素顔

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
731部隊被害者遺族の訴え!!





実験医学雑誌第14巻雑報
14巻4号(1930(昭和5)年
雑報
菌の毒力に関する実験的研究
(第1報)

特に試験管内の毒力増強方法について

真柄正直

このように、血液成分のいずれの部分が菌の毒力増強に影響するかという点は不明であるが、兎に角、かなり本来の血液に近く成分を備え、しかも凝固を妨げられた家兎の血液が肺炎双球菌1型はマウスに対する毒力をマウス通過と同程度に極めて高度に増強せしめる事実を発見した。又、この菌を馬血液に植え継ぐのに同様顕著な毒力(マウスに対して)の上昇を認めた、肺炎双球菌のみではなく、パラチフスB菌等でも、これを家兎の血液に植え継ぐとそのマウスに対する毒力は、マウス通過と同程度に増強することを認めた。





伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より





この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

埋もれた細菌戦調査書


●細菌戦裁判

資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

第4部
第一審判決に対する日本の各界の支援の声

1章 国会議員、研究者、ジャーナリストから

判決の反応と情報公開

近藤昭二(ジャーナリスト)

ちょうど今日のIWGのミーティングでは、顧問のリンダ・ゲッツ・ホームズ女史が、731部隊の奉天俘虜収容所派遣の問題を取り上げました。そこに収容されていた連合軍捕虜への731調査活動の事実の問題です。女史は731の証拠資料を提出して、解放時の捕虜の記録調査・開示を求めています。
 中国では、日本軍の憲兵隊が731部隊に人体実験用の人間を送り込んだ証拠資料である「関東軍特移扱文書」という新しい資料が見つかり、黒龍江省人民政府が中国版と日本語版を出版しました、その後長春の公文書館でも227人分の同様の資料が見つかり、こちらでも新たに出版の準備をしています。





●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。


731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)



旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記





●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

五月十八日

今日午前十時奉天専門学校生徒が約五十名 野外軍事教育実施のために来た。来たる二十一日まで全て軍隊と同じ起居動作をするとの事 非常におとなしそうである。うちの大隊長と同期生○○中佐引率のもとにやって来た。我々と同じ寝台の上に眠り 軍隊のご飯を食べ 内務から外務全てが初年兵式にやるそうだ。夜集会所で茶話会があった。鞍山小学校で奉職する教専の卒業生たる先生達のもてなしである。一日は終わった 相変わらずでもないがピンポンに夢中だ。本部の娯楽室を将校の寝所そして隣の部屋が三務室となった。








●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)



挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より

W 人間の威厳について

 この死者たちのことを、僕は聖者と呼ぶべきかもしれない。この死者たちはいかなる宗教をも持たず、しかも詩人はコミュニストでさえあったが、アルベール・カミュが書いた次のような会話が意味づける、その聖者としてなら不都合ではないだろう。≪「僕が心を惹かれるのは、どうすれば聖者になれるかという問題だ」「だって、君は神を信じてないんだろう」「だからさ、人は神によらずして聖者になり得るか―これが、今日僕のしっている唯一の具体的な問題だ」≫



唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

●『細菌戦部隊』
731研究会編

T 731部隊  1996年9月(核時代51年)初版発行

満蒙開拓青少年義勇軍から731部隊へ
撤退時の死体処理は教育部全体で無我夢中でやった

大竹康二
731部隊・教育部
〈略歴〉
1926年生まれ
1940年3月 満蒙開拓青少年義勇軍入隊。同年7月“満洲国”北安省嫩江の訓練所入所。
43年8月開拓団入植
1945年5月 122師団(牡丹江)入隊
1945年6月 731部隊教育部に配属
1945年8月 帰国
■この証言は731研究会の学習会での発言(1994年4月)。95年5月の聞き取りをまとめたもの

“731”のことなど

でも引っ張られても、国の為、天皇の為と思って何も疑わなかったです。徹底的に、それこそ小学校1年の時から教育されてるでしょう、だから国の為、まあ死んだって仕方ないと思ってました。家の為、とは考えなかったですね。わし家放り出して“満洲”行った男ですから。
 今いろいろ問題出てるけど、中国人や朝鮮人に、日本は出来るだけのことをした方がいいと思います。元“慰安婦”なんてかわいそうだよね。わし等と同じ位の壽で、徴発で連れて行かれて。ひどいんだから、無理矢理なんだから。人を人と思わない、かわいそうです。



 



●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』1991年初版発行
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

解説

松村高夫

3 731部隊に関する戦争犯罪裁判

逃げ遅れ、ソ連に拘留された者の内、731部隊関係者12名は被告としてハバロフスク軍事裁判で裁かれるようになった。この裁判は、1949年12月25日から6日間、ハバロフスク市の士官会館で行なわれ、被告12名が細菌兵器の準備と使用に関わった罪で起訴された、傍聴席は連日満員だったという。






●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章
日中全面戦争と毒ガス戦の展開

1、催涙性ガスの使用とより強力な毒ガス兵器使用の要求

南京攻略戦で毒ガス戦に傾く

「大陸命」の原案は参謀本部作戦課(第2課)で起案された後、作戦課長(第2課長)、作戦部長(第1部長)、参謀次長、参謀総長の決裁を経て天皇の上奏され、質疑応答の後、天皇から許可【允裁(いんさい)】が得られれば発動できた、統帥大権をもつ天皇は、作戦や部隊の移動についての方針を「大陸命」で命令し、これを受けて参謀総長が具体的な指示を「大陸指」で出すのである(「大陸指」も「大陸命」と同じように参謀本部作戦課で起案され、課長、部長、次長、総長の決裁を経て発令された)。したがって「大陸命」や「大陸指」は、参謀本部がどのように作戦行動を展開しようとしていたのかを示す重要な資料であり、大本営陸軍部の意志決定を示す文書である。







・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

秘密の軍事学校

日本軍の化学兵器の研究活動は早くから開始され、その上1931年に制度化が始まっていたけれども、生産はなお進行中で、正式に各部隊に装備されるまでにはまだ一定の道のりがあった。大事なのは、軍隊の中に化学兵器をいかに装備するかの原則が、当時まだ未制定だったことだ。この原則を打ち立てるには、軍事学校でまず実験し、次いで部隊の中に推し進めねばならない。ただし当時の日本軍の原則によると、一般の軍事学校あるいは砲兵学校にはおしなべて化学兵器を使用する訓練はなく、その上国際条約の制限を受けて、この種の訓練を大っぴらにやることもできなかった。このように、化学戦の各種戦略と戦術の原則を確実に実験するのは難しく、化学戦専門の学校の設立は日本が化学兵器を発展させる上で必然の要請だったのだ。




 



毒ガスの工場の焼却

大久野島国民休暇村






日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

日本鬼子(リーベンクイズ)
刺突(しとつ)
農民を初年兵の訓練に

江先 光(えさきひかる)
曹長
〈略歴〉
私は山口県岩国市岩国に生まれた。
小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、
1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。
以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において
捕虜となった。今年40歳です。


私はこうして五人の中国人を無残にも殺害した。しかし村人の闘いはこれによって休むどころか、この村から一物も奪うことはできなかった。激しい遊撃のひまに、やはり春には菜の花が咲き、6月には田植えが行なわれ、秋にはその収穫が守られていった。日本兵に対する憎しみと闘い、生涯の情熱はどんな力でも押しとどめることはできなかった。





 


●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
>
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 4月23日(金)14:00〜103号法廷
●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00〜703号法廷

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著
第一章 国家機密と軍国主義
1、戦後日本の機密保護体制

 2 シビリアン・コントロールの欺瞞
 イチジクの葉の国防会議
文民統制のシンボルにまでもちあげられている国防会議は、四次防予算先取り問題、沖縄への
装備秘密輸送問題で明らかになったように、その形骸的役割さえ果たしていない。国防会議は防衛庁設置法第62条により「国防に関する重要事項を審議する」内閣の諮問機関とされ、内閣総理大臣は国防の基本方針、防衛計画の大綱なについて、これにはからなければならないと定められている。ところが、ここにいう防衛計画の大綱とは、国防会議が設置された当時の内部資料によれば、「国防の基本方針に基づく防衛力整備計画案などをさすのであって、狭義の作戦、用兵に関する計画は含まない、と解させる」とされている。
 


第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901〜1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11〜43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1



金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


V 自衛隊における人体実験の疑念


4 公害調査に名を借りたBCW作戦

気象条件と作戦要素

 その上、生物兵器のエア・トレーサーの場合は、細菌の活動が活発であるための気象条件が要求される。このことは、公害調査を名目ににして行われた瀬戸内海沿岸における訓練が雨季を選んでいることと思い合わせてみる見る必要がある。
 ちなみに、この公害調査の名による演習は、後の『化学学校記事』(第11号)に掲載された教育の阿達憲三佐の「新しい化学剤及び生物剤の用法」と題する生物・化学兵器の作戦想定による死傷見積りと比較するとき、自衛隊による公害調査の真の目的の所在が明らかになるであろう。












第5代衛生学校長

井上義弘【1904〜1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。






●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

第15章東京裁判
V
東京裁判の被告選定に見られ、その後、裁判それ自体がはらむことになる深刻な歪みは、アジア太平洋地域におけるアメリカの圧倒的な軍事的・経済的支配力、そしてマッカーサーが持つ過度の権力から発したものであった。しかし、とりわけ、すべての連合国政府が国際法を現実政治に従属させたことから歪み生じていた。各国政府は自国の国家利益を最優先に考え、法と道徳は副次的なものと位置づけがちであった。裕仁と側近たちもまた同様の観点から、法的ドラマの展開の陰でひそかな営みを続けていた。 

日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
@、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, 
the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

小泉親彦と昭和天皇
近現代史を《憲法視点》から問う〜「湘南社」の憲法論議〜
近代天皇制の真髄は
福沢諭吉
神武と戦争

憲法9条を生かそう!!


731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!

※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?


 
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子



核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アメリカ合衆国
マーシャル諸島での核実験
1946年7月1日からアメリカ軍占領下にある日本の委任統治領であるマーシャル諸島のビキニ環礁で核実験を行い、1947年にアメリカ領となった後も核実験を継続し、エニウェトク環礁と合わせて67回の核実験を行った。
1946年7月、原爆実験クロスロード作戦では、日本の戦艦長門など約70隻の艦艇が標的として集められ、そこを原爆で攻撃して効果を測定した。1回目は7月1日に実験(エイブル)し、2回目(ベイカー)は7月25日に行なわれた。
その後、太平洋核実験場として指定され、1954年3月1日ビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)では、実験計画では数Mtクラスの爆発力と見積もっていたものが、実際には15Mtの爆発力があったため予想よりも広範囲に死の灰が拡散して、多数の被曝者を出した。
バスケットボールビキニ環礁の島民は、強制的にロンゲリック環礁へ移住させられ、現在に至るまで帰島出来ていない。
バスケットボール日本のマグロ漁船第五福竜丸など数百〜千隻の漁船が、死の灰で被曝した。
バスケットボール240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り、実験の3日後に住民全員が強制避難させられた。
バスケットボールビキニ環礁面積の80%のサンゴ礁が回復しているが、28種のサンゴが原水爆実験で絶滅した。



●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future

●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!


JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日〜5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!



posted by ノブ at 10:14| 東京 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月28日

細菌戦の系譜!!




4月30日(金)〜5月10日(月)ブログお休み
中国侵略戦争
中国に於ける人体実験(伝染病研究所)
第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
731部隊の罪業
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会
武装組織、ミャンマー国軍拠点制圧 タイとの国境近く
「声上げたら解雇」は許せない!〜「多摩労務管理事務所」に仮処分守れと申し入れ
情報公開裁判
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地〜今を生きる日本人が知るべきこと」
「核兵器禁止条約」発効の意義と課題―今こそ、東北アジア非核兵器地帯を―湯浅一郎(ピースデポ代表)
核兵器禁止条約の署名・批准の状況
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
浅川地下壕を歩く
昭和への挽歌   野崎忠郎
ビキニ核被害者救済支援と731部隊
毒ガスの痕
693陸軍病院と万人坑


「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00〜703号法廷
3月3日の『化学学校記事』の傍聴
日本の労働問題
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!
日本でワクチンが出来ない訳は
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
.SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!



731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第5回
「731部隊・100部隊」と
 「人獣共通感染症」
□日時:2021年5月27日(木) 18:30〜
□お話:今井雅巳さん 岐阜大学講師「平和学」□オンライン中継(ZOOM)
□主催:731ネットワーク      




◎ 「日本人の戦争認識」 =近代日本の戦争被害と加害の実相
◎ 哈爾濱「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」の変遷 「731部隊展」全国ツアー
◎ 長春「偽満皇宮博物院」と「100部隊」の展示 撫順・太源戦犯管理所と中国帰還者連絡会
◎「人獣共通感染症」の過去・現在
    ペスト・鼻疽・炭疽・鳥インフルエンザ・豚コレラ・SARS・MERS・COVID-19

◎ 戦前の獣医師(馬医者)を輩出した三大獣医学科
    東大・北大・盛岡高等農林学校(岩手大)獣医学科と博物館(動物の病気標本資料)

◎ 戦後の獣医師(馬の医者から人の医者へ・動物実験のプロ・製薬会社顧問)
    安東洪次と動物実験研究会・チンパンジーの老後(サンクチュアリー)

◎ 獣医師の本 『軍馬と鼻疽菌』小河孝著 『馬疫』茜灯里著
◎「人獣共通感染症」との共存=COVID-19との向き合い方・私たちの未来
◎「加害民族の末裔」としての自覚と現代日本人の責任
*日本のどこかに「731部隊」罪証陳列館分館建設を目指して!! 金成民館長の願望

□ 連絡先・申込 nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井) (zoomの定員100人、定員になり次第受付終了です。)


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原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子



昭和への挽歌   野崎忠郎






自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)qばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」






第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった




731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
「731部隊と人権ー裁判から考える」お話:南典男さん(弁護士)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
「人骨問題と731部隊」鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
「731部隊と大連黒石礁事件」お話(根岸恵子さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)



パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
―医学と人権を考える―
●日本はなぜ“ワクチン後進国“になったのか
医療情報室レポート
199号より
福岡市医師会医療情報室より

○萎縮した予防接種行政のはじまり
 ワクチンの負の側面ばかりが強調され国民の不安が増す中、1994年に予防接種法が改正され、接種要件が「義務」から「勧奨」接種へと緩和され、接種形態も「集団」から「個別」接種へと移り変わった。またこのような状況を受け、それまで世界に先駆けて水痘や日本脳炎ワクチンなどの開発に取り組んできた製薬業界も消極的となり、国内での新ワクチンの生産は殆ど行われなくなった。この萎縮政策の風潮はその後も引きずられ、結果として、大量のワクチン未接種者が生まれ、昨今の麻しん集団発生や2013年の風しん流行に繋がったとみられている。

元予研所長・長崎大学長の福見秀雄は731部隊関係者・CIA工作員で戦後も人体実験を続けたより

宮川正教授は退官記念講義で731部員だったことを暴露されたより
水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」1

2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2


2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3


森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!






隠された毒ガス兵器

あの小津監督も毒が売部隊に所属していた!!
『従軍日記』 小津安二郎
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するのか?

新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

【日航機墜落事故の真相】

今の日本の実態!!

多摩労務管理事務所闘争に勝利するための9 26集会



●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)



日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫


元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

10分で学びなおす「731部隊」


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の主犯ではない。小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇がバックで指示を出していた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜」 2017年8月13日

(後編) 731部隊の真実 人体実験はこうして拡大した 隊員たちの素顔

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
731部隊被害者遺族の訴え!!





実験医学雑誌第14巻雑報
14巻4号(1930(昭和5)年
雑報
菌の毒力に関する実験的研究
(第1報)

特に試験管内の毒力増強方法について

真柄正直

まず、家兎のクエン酸ソーダ加血液に植え継いだのに、肺炎双球菌1型のマウスに対する毒力はマウス通過に劣らず極めて著しく増強した。ヘパリンを加えて凝固を防いだ血液でも上記の場合と同様良好な結果を得た。
しかし、全血液を使用すると毒力の増強は極めて僅かである。
脱繊維血液に植え継ぐときは完全に陰性の結果を見るのである。有効成分が血漿中に存するのではないかと考えられるが、チトラートプラスマを用いたのに、ここでも毒力の上昇は見られなかった。
最後に、各々それ自身では効力を持たない所のチトラートプラスマと脱繊維血液とを混合したものに菌を植え継いだのに、意外にも極めて著明な毒力の増強を認めた。





伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より





この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

埋もれた細菌戦調査書


●細菌戦裁判

資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

第4部
第一審判決に対する日本の各界の支援の声

1章 国会議員、研究者、ジャーナリストから

判決の反応と情報公開

近藤昭二(ジャーナリスト)

それについて今回政府の人達と意見交換が行なわれましたが、この判決が出て、政府の対応が今までとは少し違っているように感じました。担当者達は原告の話を直接聞いて胸を打たれたとも言っていました。調査の道筋が見えてきたように思います、アメリカには、ファインシュタイン議員が推進した「日本帝国政府記録情報公開法」というものが2000年の12月に成立し、それに従って出来たIWGという大統領直轄の調査作業グループがあります。そこで現在、旧日本軍の戦争犯罪の資料を調査、公開するという作業を進めていますが、各省庁やCIAなどから何十万ページという大量の文書を収集しようとしています。作業グループの中には731部隊のことに詳しく、熱心にやっているメンバーもいます。細菌戦での関連で具体的に言えば、旧ソ連がハバロフスクで細菌戦の犯罪者を裁いた時の被告菊地則光が、日本に帰国して取り調べられた際の文書や隊長石井四郎のファイルとか新たな資料が少しずつ出てきています。




●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。


731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)



旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記





●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

五月十八日

晴 風なし 将校集会所上番 奉天専門学校生徒の野外演習の為に帰隊す。
すこしも休ませてくれないね。勤務ばかりだ、食の準備から後片付けの仕事は、嫌でいやでしようがない。何か僕の性格に合っていないらしい。唯、良いことは新聞が自由に読める事と、今一つは好きなピンポンが自由にできること、その二つのみだ。手嶋と一緒故面白いことは面白いが 此の集会所に来ている内に またしても菅野と瀬谷の態度が癪にさわって仕方がない。いつも生意気な口ばかり聞き嫌な事ばかり言いやがる。








●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)



挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より

W 人間の威厳について

この、死後の生命への賭けが、宮本定男氏の原爆病院での活動だったし、峠三吉の入党だったのである。そこで、今僕を捉える恐怖は、我々が彼らの死の賭けをすっかり駄目にしつつあるのではないか?という疑いに喚起される。しかも、そのことを死の直前の宮本定男氏たちは、感づいてしまっていたのではないか?この恐怖の感覚は僕から離れることがない。我々、地球上の生残りの全てが、彼らの死の賭けを否定し、賭金を払うまいとしているのではないか?



唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

●『細菌戦部隊』
731研究会編

T 731部隊  1996年9月(核時代51年)初版発行

満蒙開拓青少年義勇軍から731部隊へ
撤退時の死体処理は教育部全体で無我夢中でやった

大竹康二
731部隊・教育部
〈略歴〉
1926年生まれ
1940年3月 満蒙開拓青少年義勇軍入隊。同年7月“満洲国”北安省嫩江の訓練所入所。
43年8月開拓団入植
1945年5月 122師団(牡丹江)入隊
1945年6月 731部隊教育部に配属
1945年8月 帰国
■この証言は731研究会の学習会での発言(1994年4月)。95年5月の聞き取りをまとめたもの

“731”のことなど

 『悪魔の飽食』(森村誠一著)が出て評判になって、かなりはっきりわかりました。でもわしはあの本、読んでない、嫌だった。人間としてやっちゃいけないことだよ、あれは。あの何日間がなければよかった、と今思います。一旗揚げようと“満洲”に行って、そして裸一貫十分食っていけると思っていた矢先に兵隊に引っ張られて・・・。“満洲”での生活は、人種は違っても、本当にみんな仲良くやっていました。

 



●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』1991年初版発行
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

解説

松村高夫

2 731部隊とは何か

部隊で人体実験の犠牲になった「丸太」と称された中国人(ロシア人や朝鮮人も含まれていた)の数は、少なくとも推定3000名。一方、部隊の日本人は、1939〜40年には3000名を数える大部分だったが、、以後次第に減少し、敗戦時には1500名ほどになっていた、1945年8月8日、ソ連が対日参戦し、ソ連軍がソ満国境を越えると関東軍は敗走、陸軍省は証拠隠滅の為に平房の巨大な施設の徹底的破壊を命令した。収容されていた「丸太」を全員殺し、石井は飛行機で、隊員の多くは列車で日本に逃げ帰った。ここから731部隊の戦後が始まる。






●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章
日中全面戦争と毒ガス戦の展開

1、催涙性ガスの使用とより強力な毒ガス兵器使用の要求

南京攻略戦で毒ガス戦に傾く

天皇は、陸海軍を統率する「大元帥」であり、天皇の命令がなければ軍隊を動かすことはできなかった。陸海軍に対する指揮権は天皇が持っており、その権限の一部を委託するという形で、参謀総長(陸軍)と軍令部総長(海軍)は軍令(作戦)関係を司り、陸軍大臣・海軍大臣は軍政関係を司ったのである。11月20日に戦時最高司令部として大本営が設置されると、天皇の陸軍に対する具体的な指示を「大陸命(たいりくめい)」(大本営設置前は「臨参命」)といい、これに基づいて参謀総長が出す具体的な指示を「大陸指(たいりくし)」(大本営設置以前は「臨命」)というようになった。








・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

秘密の軍事学校

このように厳格な機密保持の措置から、この学校には外部の者はもちろん入れないが、日本軍隊内部の者でさえ、この学校へ侵入するには規定があった。外国人には勿論開放されていない。1935年、つまりこの学校の設立2年後、ある国の武官がどこから情報を得たか知らないが、何度もこの学校の参観を求めた。日本軍側は勿論同意せず、この武官は「門前払い」を食った。
 なぜ化学戦に従事するこのような専門的な軍事学校を設立せねばならなかったのか。
 理論上から見て、化学兵器は研究から始まって実戦使用に至るまで、その間にたくさんの過程があり、左記の方式で表示できる。
 研究ー実験ー制度化ー生産ー専門人員の訓練ー部隊への装備
 この過程の中で、専門人員の訓練は大変重要な段階だ。




 



毒ガスの工場の焼却

大久野島国民休暇村






日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

日本鬼子(リーベンクイズ)
刺突(しとつ)
農民を初年兵の訓練に

江先 光(えさきひかる)
曹長
〈略歴〉
私は山口県岩国市岩国に生まれた。
小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、
1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。
以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において
捕虜となった。今年40歳です。


もう許さんぞ。「突けッ」初年兵が突き飛ばされた。ウウッ・・・悲鳴とも判らぬ声が松林をぬった。みるみる体は蜂の巣のように引き裂かれ、真っ赤な血が足を伝って大地にしみ込んでいった。
それを満足そうに笑いを浮かべながら見ていた坂下は、きゅっと唇を吊り上げると、さっと軍刀を引き抜いて女の下腹めがけて突っかかっていった。鮮血は辺りを染めた。松がごうごうと鳴り、枯れ葉が叩くように降って来た。その女は張子良隊長の夫人であった。夫の神出鬼没の遊撃に備えて夫人は村落に残り、日本兵の惨行を細かく調べ、夫に報告していたのだった。そして農民たちは陰に日なたに夫人を守り、祖国の為に闘っていたのだ。




 


●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
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在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 4月23日(金)14:00〜103号法廷
●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00〜703号法廷

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著
第一章 国家機密と軍国主義
1、戦後日本の機密保護体制

 2 シビリアン・コントロールの欺瞞
 イチジクの葉の国防会議
 政府のいう文民統制とは、先に述べたような実質的意味をもつものではなく、全く形式的なものにすぎない。それは防衛庁内局(文官)、国防会議、政府、そしてほんの名目的に国会によるコントロールして規定されている。これらがすべて完全に機能したとしても、真の市民統制からは遥かにへだたっている。しかも現実は、こうした擬制としてのシビリアンコントロールでさえ形骸化していることを示しているのである。

 


第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901〜1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11〜43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1



金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


V 自衛隊における人体実験の疑念


4 公害調査に名を借りたBCW作戦

気象条件と作戦要素

 予報は、地形及び化学剤の野外における作用の評価と相まって、次の事項を決定する基礎になる。
a、いかなる化学剤をいつ、どこで用いるべきか。
b、弾薬の消費量。
c、使用方法。
d、風下の危険地域の範囲(毒ガスを使用する場合)
e、有効な障害を保存するには、いつ汚染を強化しなければならないか」
教範『野外における化学剤の使用』が書いているように、生物・化学戦争にとって、その計画と実施に当たっては、気象概況と微気象の予測を綿密に行なわなければならない。












第5代衛生学校長

井上義弘【1904〜1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。






●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

第15章東京裁判
V
 結局、26人の被告だけが起訴されることとなった。そのなかには、軍国主義や民族的狂信を煽るのにひと役買った実業家、大学の知識人、仏教徒、裁判官、ジャーナリストなどは含まれていなかった。4月13日、ソビエト代表団が遅れて来日すると、彼らは戦争経済の確立に指導的役割を果たした3人の実業家を被告に加えようと試みたが、結局、梅津美治郎大将と外交官である重光葵のふたりを追加できただけだった。他方、裁判が終結するまでに、元外務大臣の松岡洋右と元海軍軍令部総長、永野修身のふたりの被告が死亡した。さらに、被告のひとり―大川周明―は精神障害と診断された〔その結果審理から除外〕。


日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
@、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, 
the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

小泉親彦と昭和天皇
近現代史を《憲法視点》から問う〜「湘南社」の憲法論議〜
近代天皇制の真髄は
福沢諭吉
神武と戦争

憲法9条を生かそう!!


731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!

※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?


 
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子



核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アメリカ合衆国
ニューメキシコでの核実験
1945年7月16日にアメリカ合衆国がマンハッタン計画で人類史上初めて行った核実験(トリニティ実験)では、長崎に投下したファットマン」と同型のプルトニウム爆縮型原子爆弾(ガジェット)をニューメキシコ州アラモゴードにある実験場で炸裂させた。
バスケットボール爆発で火球の中に舞いあげられた砂漠の砂が溶けて液体になって降り積もったガラス質の緑色鉱石(トリニタイト)が生成され、今なお中レベルの放射能を帯びている。ほとんどは1952年に埋め立てられ、持ち出し禁止になっている。
バスケットボール実験から50年以上が経過した現在でも、実験場跡地では通常環境の約10倍の残存放射線が検出される。
詳細は「トリニティ実験」および「マンハッタン計画」を参照




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future

●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!


JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日〜5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!



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2021年04月27日

細菌戦の系譜!!




4月30日(金)〜5月10日(月)ブログお休み
中国侵略戦争
中国に於ける人体実験(伝染病研究所)
第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
731部隊の罪業
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会
ミャンマー情勢巡るASEAN合意、市民から批判の声
「声上げたら解雇」は許せない!〜「多摩労務管理事務所」に仮処分守れと申し入れ
情報公開裁判
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地〜今を生きる日本人が知るべきこと」
「核兵器禁止条約」発効の意義と課題―今こそ、東北アジア非核兵器地帯を―湯浅一郎(ピースデポ代表)
核兵器禁止条約の署名・批准の状況
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
浅川地下壕を歩く
昭和への挽歌   野崎忠郎
ビキニ核被害者救済支援と731部隊
毒ガスの痕
693陸軍病院と万人坑


「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00〜703号法廷
3月3日の『化学学校記事』の傍聴
日本の労働問題
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!
日本でワクチンが出来ない訳は
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
.SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!



731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第5回
「731部隊・100部隊」と
 「人獣共通感染症」
□日時:2021年5月27日(木) 18:30〜
□お話:今井雅巳さん 岐阜大学講師「平和学」□オンライン中継(ZOOM)
□主催:731ネットワーク      




◎ 「日本人の戦争認識」 =近代日本の戦争被害と加害の実相
◎ 哈爾濱「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」の変遷 「731部隊展」全国ツアー
◎ 長春「偽満皇宮博物院」と「100部隊」の展示 撫順・太源戦犯管理所と中国帰還者連絡会
◎「人獣共通感染症」の過去・現在
    ペスト・鼻疽・炭疽・鳥インフルエンザ・豚コレラ・SARS・MERS・COVID-19

◎ 戦前の獣医師(馬医者)を輩出した三大獣医学科
    東大・北大・盛岡高等農林学校(岩手大)獣医学科と博物館(動物の病気標本資料)

◎ 戦後の獣医師(馬の医者から人の医者へ・動物実験のプロ・製薬会社顧問)
    安東洪次と動物実験研究会・チンパンジーの老後(サンクチュアリー)

◎ 獣医師の本 『軍馬と鼻疽菌』小河孝著 『馬疫』茜灯里著
◎「人獣共通感染症」との共存=COVID-19との向き合い方・私たちの未来
◎「加害民族の末裔」としての自覚と現代日本人の責任
*日本のどこかに「731部隊」罪証陳列館分館建設を目指して!! 金成民館長の願望

□ 連絡先・申込 nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井) (zoomの定員100人、定員になり次第受付終了です。)


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原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子



昭和への挽歌   野崎忠郎






自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)qばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」






第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった




731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
「731部隊と人権ー裁判から考える」お話:南典男さん(弁護士)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
「人骨問題と731部隊」鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
「731部隊と大連黒石礁事件」お話(根岸恵子さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)



パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
―医学と人権を考える―
●日本はなぜ“ワクチン後進国“になったのか
○予防接種法の制定と相次ぐワクチン訴訟
我が国では、戦後、感染症による死者が多数発生したことなどから、1948年に「予防接種法」が制定され、12疾病のワクチン接種が義務化された。その後、感染症による死者は大きく減少したが、一方で1960年代半ば頃からワクチンによる健康被害等がクローズアップされるようになった。特に、1989年から開始されたMMRワクチンについては、ムンプスワクチンの成分による無菌性髄膜炎が多発したことで訴訟が各地で起き、国の敗訴が相次いだ結果、わずか4年で中止されるという事態になった。

元予研所長・長崎大学長の福見秀雄は731部隊関係者・CIA工作員で戦後も人体実験を続けたより

宮川正教授は退官記念講義で731部員だったことを暴露されたより
水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」1

2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2


2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3


森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!






隠された毒ガス兵器

あの小津監督も毒が売部隊に所属していた!!
『従軍日記』 小津安二郎
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するのか?

新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

【日航機墜落事故の真相】

今の日本の実態!!

多摩労務管理事務所闘争に勝利するための9 26集会



●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)



日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫


元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

10分で学びなおす「731部隊」


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の主犯ではない。小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇がバックで指示を出していた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜」 2017年8月13日

(後編) 731部隊の真実 人体実験はこうして拡大した 隊員たちの素顔

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
731部隊被害者遺族の訴え!!





実験医学雑誌第14巻雑報
14巻4号(1930(昭和5)年
雑報
菌の毒力に関する実験的研究
(第1報)

特に試験管内の毒力増強方法について

真柄正直

次は試験管内の毒力増強法であるが、自分は培養基として血液を選んだ。この理由は、以前、血液の殺菌作用に関する実験の時認めた事実、即ち、同一の菌株について見る時、毒力の高いものほど血液の殺菌作用に影響され難い等、毒力と血液との間に密接な関係があると云う事実に依るのである。




伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より





この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

埋もれた細菌戦調査書


●細菌戦裁判

資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

第4部
第一審判決に対する日本の各界の支援の声

1章 国会議員、研究者、ジャーナリストから

判決の反応と情報公開

近藤昭二(ジャーナリスト)

また、情報公開についてですが、これまで、日本政府は細菌戦部隊に関してわすか10件足らずの資料しか公開していませんでした。調査に関しては、いつまでも「調査中である」「それに関する資料は見つかっていない」等の回答しか返って来ませんでした。これまでは中国、ロシア、アメリカで発見された資料を突き合わせて、1つ1つの事実を洗い出していくという作業しかできませんでした。



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。


731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)



旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記





●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』



五月十七日

下を通る散歩者の散歩者の姿は 内地のそれより華やかに陽気に見える。何分遊んでいる連中が多いんだから止むを得ないんだがなー入浴も行った、酒保も行った為幸いな一日が終わった。先日一寸書いたが小島が矢張平康里に酒を飲んできた。小島、手嶋、鈴木にいいようにいじめられてしまた。明日からまた将校集会所










●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)



挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より

W 人間の威厳について

≪24年4月、峠君のひどい喀血は君をして死への恐怖のあがきをそそったことは否めない。・・・その死への危惧が同君をして日本共産党への入党の踏切りとなり、更に6月5日、あの船越町、日鋼事件への闘争参加となった≫と豊田清史氏は証言している。
 自分の悲惨な死への恐怖に打ち勝つためには、生き残る者たちが、彼らの悲惨な死を克服する為の手がかりに、自分の死そのものを役立てることへの信頼がなければならない。そのようにして死者は、後に残る生者の生命の一部分として生き延びる事ができる。



唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

●『細菌戦部隊』
731研究会編

T 731部隊  1996年9月(核時代51年)初版発行

満蒙開拓青少年義勇軍から731部隊へ
撤退時の死体処理は教育部全体で無我夢中でやった

大竹康二
731部隊・教育部
〈略歴〉
1926年生まれ
1940年3月 満蒙開拓青少年義勇軍入隊。同年7月“満洲国”北安省嫩江の訓練所入所。
43年8月開拓団入植
1945年5月 122師団(牡丹江)入隊
1945年6月 731部隊教育部に配属
1945年8月 帰国
■この証言は731研究会の学習会での発言(1994年4月)。95年5月の聞き取りをまとめたもの

“731”のことなど

 731”の中で本当は何をしていたのか、それを知ったのは日本に帰って来てからです。帰る前位に噂で一寸知っていましたが。わし等がやった死体運びも、箝口令が出ていたわけではないけど、他人に話さなかったし、他の連中からも“731”のことは聞きませんでした。うすうす分かっていたけど。何となく運んだ死体が研究の為の実験材料だってことはうすうすとね。

 



●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』1991年初版発行
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

解説

松村高夫

2 731部隊とは何か

以上の4部の他に教育部、資材部、診療部があったが、診療部(部長は永山太郎)といえども人体実験を行なっていた(後述)、本書には、秦正氏、竹内豊、田村良雄らによる部隊の組織系統図が示されており、それぞれの間にはズレも見られるが、これはむしろ、隊員たちが当時の部隊の組織系統をどのようなものとして理解していたかを見る鍵になり得るものである。






●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章
日中全面戦争と毒ガス戦の展開

1、催涙性ガスの使用とより強力な毒ガス兵器使用の要求

南京攻略戦で毒ガス戦に傾く

11月7日、上海派遣軍と第10軍を統一指揮するための中支那方面軍(方面軍司令官は松井上海派遣軍司令官が兼務。後に朝香宮鳩彦王中将が上海派遣軍に就任)が設置された。上海での激しい攻防戦の結果、11月9日以降に中国軍は退却を開始したので、上海派遣軍・第10軍は陸軍中央が設定した作戦範囲を無視して中国軍の追撃を開始、11月19日に柳川第10軍司令官は中国国民政府の首都・南京を攻略することを宣言した。陸軍中央はこれに驚いたが、結局現地軍の行動を追認し、12月1日に昭和天皇は「中支那方面軍は海軍と協力して敵国首都南京を攻略すべし」と正式に命令したので(奉勅伝宣「大陸名第8号」)、12月13日に日本軍は南京を占領するに至る。








・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

秘密の軍事学校

 しかしこの学校内の大量の防毒マスクは秘密保持性のもので、ごく一部分だけしか貸し出されず、かつ厳重な監督が必要だった。学校の教材も大部分が機密とされ、表面に「軍事機密」、「軍事秘密」、「秘」、「部外秘」等の標記が加えられた。一冊の本の中で、内容が異なれば機密保持の等級も異なり、異なった色の紙を使って区分された。このような本を使用するにも厳格煩瑣な手続きがあって、紛失すると厳重な懲罰を受けた。




 



毒ガスの工場の焼却

大久野島国民休暇村






日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

日本鬼子(リーベンクイズ)
刺突(しとつ)
農民を初年兵の訓練に

江先 光(えさきひかる)
曹長
〈略歴〉
私は山口県岩国市岩国に生まれた。
小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、
1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。
以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において
捕虜となった。今年40歳です。


「ウッ・・・」低いうめきと共に胸からダーッと血がほとばしった。やったな。不意をつかれて皆一様にドキッとした。
 その鼻先へ「鬼めっ」「打死(打ち殺せ)」
5人の口から一斉に押し付ける様な叫びが漏れた。
血を見て狂った坂下も私も大声を張り上げた。
「突け、突け!」
だが、喚けば喚くほど補充兵は後ずさりをした。藤本はそこに座り込んだまま動こうとしない。
「突け、突かんか・・・」その時女が叫んだ、
「中国は偉大だから必ず勝つ!!」
4人が答えた。
「鬼め、お前らこそ、この穴に入るべきだ・・・」「そうだ」瞬間、私はヒヤッとした。
脇の下からタラタラと冷や汗が流れた。





 


●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
>
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 4月23日(金)14:00〜103号法廷
●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00〜703号法廷

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著
第一章 国家機密と軍国主義
1、戦後日本の機密保護体制

 2 シビリアン・コントロールの欺瞞
 イチジクの葉の国防会議
 アメリカをはじめ、すべてのブルジョア諸国でも、シビリアン コントロールは形骸と化し、たんなる文官統制にすぎなくなっている。だが、いくつかの国々では民主主義の伝統が人民と労働者兵士のなかに生きている。軍隊と政治の理念や制度にも、民主主義的枠組みが残されている。これにたいし、憲法とそれにもとづく政治体制とは別に、全く異質の存在として設置され、強化されてきた自衛隊には、そのような条件はひとかけらもない。51年以降、大量にその指導部に流入した旧軍人は、天皇の軍隊の伝統を継承させる人的パイプとしての役割を果たし、60年安保闘争をはじめとす階級矛盾の発展は、独占資本の私兵としての性格をますますつよめた。


 


第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901〜1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11〜43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1



金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


V 自衛隊における人体実験の疑念


4 公害調査に名を借りたBCW作戦

気象条件と作戦要素

北海道や関東北部地方で行われている防霜作戦もその例外ではあり得ないだけでなく、民生協力という名によって、自衛隊の生物・化学戦争のための研究や訓練が蓄積されて、後で述べるように成長してきたというべきであろう。
 「担当化学係幹部は、化学戦に対する勧告を計画する前に、予想作戦地域に対する予定作戦時刻における気象班の一般気象予報と微気象予報を確保しておかねばならない。化学係幹部はまた詳細な偵察、地図、空中写真または放出する化学剤の作用に影響すると思われる予想作戦地域内及びその周辺の地形状態のモザイク写真による研究に関連して、これらの予報を評価しなければならない。化学係幹部はなるべく自ら直接観測して、気象班の予報を確かめなければならない。












第5代衛生学校長

井上義弘【1904〜1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。






●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

第15章東京裁判
V
 執行委員会は、被告の人数を28人まで絞り込んだ。満州事変の立案者であった石原莞爾もほかの容疑者とともに被告から除外された。石原は起訴準備段階においても事情聴取を受けていなかった。石原が被告リストから除外されたのは、彼が東条と対立し、東条政権の打倒を試みたというキーナンの好意的印象大きく作用した結果と考えられる。しかし、それはまた、中堅幕僚層はアメリカの場合と同様、侵略を主導する原動力ではありえないという、アメリカ検察陣の誤った思い込みも反映していたのかもしれない。

日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
@、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, 
the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

小泉親彦と昭和天皇
近現代史を《憲法視点》から問う〜「湘南社」の憲法論議〜
近代天皇制の真髄は
福沢諭吉
神武と戦争

憲法9条を生かそう!!


731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!

※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?


 
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子



核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

歴史的重要度の高い核爆発・核実験

年月日 名称(実験名) 核出力 (kt) 実施国 重要性

1998年5月11日 シャクティ II 12  インド インドによる初の原子爆弾実験
1998年5月28日 チャガイ-I 9-12?  パキスタン パキスタンによる初の原子爆弾実験
2006年10月9日 北朝鮮の核実験 (2006年) 1.5-15?  北朝鮮 北朝鮮による初の原子爆弾実験
2010年11月18日 ポルックス ?  アメリカ合衆国 アメリカによる「Zマシン」と呼ばれる装置を使った初の臨界前核実験 このZマシンに関してはこの後2014年11月までの間に12回の実験が繰り返されている
2013年2月12日 北朝鮮の核実験 (2013年) 10-45?  北朝鮮 北朝鮮による初の強化原爆実験?
2016年1月6日 北朝鮮の核実験 (2016年1月) 10?  北朝鮮 北朝鮮による初の水素爆弾実験(懐疑的な意見もある)
各国の核実験[編集]
「核実験の一覧」も参照
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】





●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future

●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!


JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日〜5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!



posted by ノブ at 11:18| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする